企業情報

出来事

1957年
白川製作所設立

岩戸景気に後押しされた各企業は、
オートメーション化の推進に伴いエアー清浄化を
要求された。創業より「お客様本位」の理念を貫く
白川製作所は各企業の要望に応え、コンプレッサー、
脱湿装置の納入を飛躍的に伸ばした。
「脱湿装置のリーディングカンパニー」白川製作所のスタートライン。


1960年
ローマオリンピック開催

カラーテレビの本放送が開始されたこの年、東京都新宿区に本社落成。
当時の従業員には、ひとり1台のオートバイが通勤手段として支給されていた。


1963年
戸田工場落成

設立時、坂本鉄工所内に間借りしていた白川製作所では、作業時間に制限があり、納期に間に合わないトラブルも発生。従業員全員による「自分たちの工場が欲しい」との嘆願が、戸田工場落成に繋がった。


1967年
コックタイプ四方弁の開発

業界の圧倒的主流だった「ダンパータイプ四方弁」に代え、エアー駆動の「コックタイプ四方弁」の独自開発に成功。納入コストの低減に大きく貢献し、競争力向上の原動力となった。


1971年
原子力発電所への納入

製鉄、石油化学、繊維、パルプと実績を伸ばしてきたが、ライバルとの大きな差として「原子力発電所向けの受注」があった。
しかしこの年、火力発電所の実績が評価され、苦労の末、中部電力浜岡原子力発電所1号機の受注に成功(三国重工コンプレッサーGr.として)。
原子力発電所納入機器扱いとして、品質管理等の管理組織改革を実施したのもこの頃だった。


1980年
海外輸出の拡大

第二次オイルショックを機に景気は下降線を辿っていたが、海外輸出が好調な伸びを見せ、グローバル企業ならではの強みで不景気を切り抜けた。


1997年
京都議定書 議決

京都議定書の議決により、国や企業の環境への取り組みが加速度を増した。
1980年代初頭から省エネ制御や廃熱再利用といった製品の開発に取り組んできた白川製作所は、現在でも変わらず環境課題に真摯に向き合い、生産効率やエネルギー効率の向上等、さらなる研究開発を積極的に行っている。